人新世のパンツ論〈花鳥風月編〉
ちょっと常識ではありえないパンツに関するエピソードを夢想してみた。
それは昭和時代の夏である。
朝6時、眠気まなこの子どもたちは近所の公園に集合して、弱々しくラジオ体操をやりこなしてから、自宅に戻る。既に台所にはお母さんがいて、テーブルには朝食が並んでいる。マヨネーズのかかったサラダ、卵と牛乳をパンに絡めて焼いたフレンチトースト。それから、よく冷えたココア。
8時になり、忙しくランドセルの中から漢字のドリルと筆記用具を引っ張り出して、夏休みの課題に取りかかる。ガラス窓の外から、うるさくセミが鳴いている。鬱陶しい。室内の扇風機の風が生暖かく、ぢりぢりと暑くなって汗ばんでくる。
課題が終わったのは10時半。友達のシンくんがやってきて、タカシとシンくんは市営プールに泳ぎに出かけて行った。
ひっそりと静まり返った高田家には、妻のミカコさんが独りきり。
家族3人分の洗濯物を、庭の片隅の物干し台に干したのは11時頃で、そのあと近所のスーパーで買い物をした。
買ってきたアイスキャンディーの箱から1本取り出して、それを食べる。窓から見える夏の青空はまばゆいばかり。真っ白な入道雲があちらこちらに盛んに映え、ミカコさんはアイスキャンディーのひんやり感で優雅なひとときを味わう。
夏の日の午前はこんなよどみのない感じで過ぎていく。毎日、いつもと変わりないのは午後も同じだった。
だがその日だけは、少し様子がおかしかった。午後1時過ぎ、チャイムが鳴った。
「あら、こんな昼過ぎの時間に誰かしら?」
暗がりの玄関のドアを開ける。そこには、見覚えのある細身で白いワイシャツ姿の青年サラリーマン、江崎が立っていた。
彼は亭主が勤めるスポーツウェアの会社の社員である。その年の春に入社したばかりであった。隣町からこの町に越してきたのはごく最近で、係長をしている亭主の直属の部下でもあった。彼はこの日の午後、わざわざ上司の自宅に、お中元を届けにやってきたのである。
江崎とミカコさんは軽くあいさつを交わし、お中元の品を受け取った。
「高田係長にはたいへんお世話になっております。たいへんつまらないもので恐縮ですが」
若者らしく少しぎこちなさ気な言い様に、ミカコさんは好感をもった。受け取ったお中元の包装紙は青の水玉がちりばめられていて小綺麗だったが、意外にもその重さは軽かった。
風が吹けば飛ぶような軽さである。ミカコさんはひそかに、水ようかんだのゼリーだの、デパ地下でずらりと並んでいるようなデザート系のお中元を期待していたのだが、どうやらあてが外れたようである。どうせこれ、亭主が身につける、ハンカチだとかネクタイの詰め合わせじゃないのと、がっかりした。
〈でも、もしかしたら、デパートの商品券とかビール券かも〉
淡い期待が膨らんで、ミカコさんは急に笑顔になった。
「まあまあ、ごていねいに、わざわざお越しいただいてありがとうございます。江崎さん、外は暑いからちょっと上がって、冷たいものでどうですか?」
彼は少し顔を赤らめ、陽気な笑みを浮かべて、
「いえいえ、とんでもございません。これで失礼いたします。まだこの町に越してきたばかりで、道もよくわからないのですが、ハハ、これからもどうかよろしく、係長にお伝えください」といった。
江崎は深々とお辞儀をし、門を出て去っていった。ミカコさんは江崎をもう少し引き止めておきたかったのだった。
その日の夜、ミカコさんは亭主に、江崎さんが今日の午後おとずれて、お中元をいただいた旨を話した。
「ほう、あの若い江崎か。なかなか気が利くなあ。しかし残念だけど、あいつはこの秋、ずっと西のほうにある店舗に飛ばされるんだよ」
ミカコさんは驚いた。
「でもあのひと、この町に越してきたばかりじゃない?」
「いやあ、西の方って言ったって、車で行けば20分くらいなんだよ。この前の会議で急に決まった人事異動なんだ。店舗のほうでは若手がいないらしい」
「あらまあ、かわいそうね江崎さん」
「まあな」
白っぽいシャツに着替えた亭主は、江崎が持参したお中元の箱の包装紙を丁寧にほどいて、箱を開けた。
「あら!?」
素っ頓狂な声を上げてミカコさんは眼を大きく見開いた。
それはなんと、2組の小袋のパッケージで、中身は男モノのブリーフだった。白のLLサイズ――。
「あいつ、こんなものを中元で寄こしたのか!」
どう見ても明らかに、白のハンカチではなく、ブリーフであった。
「カタクラって書いてある。カタクラって、有名な下着メーカーだわね」
ミカコさんは、門を出ていくときの江崎の律儀な背中を思い浮かべていた。それでなお、お中元の中身を見返した。そういえばすっかり忘れていたが、レンジにはチンしておいた八宝菜の丼がそのままだった。ミカコさんはレンジから丼を取り出し、テーブルに置いた。
「サイズは合ってる。タンスにしまっとけ」
旦那のぶっきらぼうな声が聞こえて、ミカコさんは八宝菜の湯気をしげしげと眺めた。
男のパンツは「社会の窓」
昭和時代にはそれが常識だった、夏になると贈られてきたり贈ったりするお中元。子どもの頃、贈られてきたものが、カルピスの瓶の詰め合わせだったりすると大喜びしたのだが、そんなお中元で、男モノのブリーフを贈る人は、めったにいない? いや、たぶんいないと思う。
ブリーフを贈った江崎の真意は測りかねるけれど、社会人として出港したばかりの彼にとって、お世話になっている上司に、なにか心温まるものを贈ろう――というよりも、無意識に自分の立ち位置の祝福をしているかのようにも思える。つまり、「社会の窓」を、私はこじ開けていこうと思います、どうかよろしく…といった新しい志――。
そう、なんといっても男のパンツは、「社会の窓」なのだ。パンツを穿いて、それは閉じられた世界となっている。
「社会の窓」があいている
子どもの頃、ジーパンのファスナー(昔はチャックといった)が下がっていると、友達にこういわれた。
「おまえ、社会の窓があいてるぞ」
その時ほど子どもが子どもらしくなく、なぜか「社会の窓があいている」などと遠回しないい方で表現するなんて、いま考えると滑稽なのだけれど、大人のいい方を真似しているだけのことである。
まだ「社会」の意味すらよくわかっていない子どもたちが、あの時代、定番中の定番として広まった文言を口にしていた。「社会の窓」。
すなわち、めくれればパンツが見えてしまうおそれのある、その箇所のファスナーが、ムンクの叫びの口元のように下がりきっている(=窓があいている)ことは、社会生活においてマナー違反だ、くれぐれも今後は気をつけろよ、という意味合いで、注意するのだった。
カチンときて、「余計なお世話だ。まだパンツを穿いているのだから、社会の窓は閉じているじゃないか」――と、いい返した記憶は、私にはない。屁理屈は禁物である。
とはいえ、薄々みんなも感じていた。パンツがそこにある。パンツを穿いている。本当は、そこが最後の防波堤なのだ。パンツの窓は、ファスナーの窓よりも強固で、自分でしっかり降ろさない限り、チンコが見えたりしない。それは子どもでもわかっていた。
話をファスナーのほうに戻すと、社会と個人のプライバシーの領界が、まさにジーパンのファスナーであり、ジーパンそのものを脱ぎ捨てる場所や必然はごく限られているのだった。それは家に帰って他のものに穿き替える時、トイレの時、シャワーを浴びたりお風呂に入る時。など。
常に閉じられ、あかずの間というほどではないにしろ、隠蔽されているべき領界であるのは、隠すべきものが内側にあるからであり、今ではわかりやすくそれを「プライベートゾーン」などといっているが、要はオチンチンのことである。
意外と子どもたちには「プライベートゾーン」という表現よりも、「社会の窓」のほうがインパクトがある。真面目さにも違いがあり、こちらのほうが哲学的に思考性が強いことばなのである。
さあ、そういう理屈を踏まえたうえで、レトロパンツをいま一度眺めてみよう。
はて、それが本当に最後の防波堤としての「社会の窓」であったかどうか。その窓の様態が、今時のパンツよりも妙に際どいというか、どきついのが特徴である。
カタクラの白のブリーフ
2025年夏、私は偶然にも、カタクラのレトロなブリーフ(白色/Mサイズ)を入手してしまったのだった。
形状はあくまでもブリーフ。しかし、そのレトロなカタクラのブリーフを手に取ってみれば、ことばにしづらい様態としての際どさが、時代を感じさせてくれる。
《片倉工業株式会社
「CARON GL」
スタンダードなブリーフ。シルケット肌着。
シルキータッチ。絹の光沢。
あなたの体に良くフィットします。
最高級生地にシルケット加工をしています》
推測だがこのアイテムは、1998年以前の平成期の商品であるかもしれないし、昭和期に販売されていたものかもしれない。勘でいうと、平成初期の頃の商品ではないだろうか。
カタクラは明治6年以後、蚕糸の製糸工場を操業。婦人の靴下で「キャロン」ブランドを立ち上げたのは昭和29年(1954年)のことだ。その頃、衣料品の生産・販売の事業も始めた。
要は老舗なのである。それゆえに、私が入手したパンツが、悠々と「シルケット肌着」を鼓舞し、高品位であることを証明している。
で、実際に穿いてみたのだ。なんとも心地良いブリーフであることがわかった。
これがあの雑誌の写真で見た、カタクラブリーフか――という感動があった。レナウンでもなくグンゼでもなく、D.V.D.でもなく、カタクラのブリーフ。もう絶対に入手できないレアなパンツだと思っていたから、令和になって本当にそれを穿けたのがとても嬉しかった。
空中パンツ
上述の雑誌について補足すると、実は「人新世のパンツ論⑥―虎の尾を踏むパンツ」で、カタクラのパンツを紹介していたのだった。
『女性セブン』昭和50年7月2日号の男モノのパンツ特集。女性読者に、男のパンツ姿を強烈にビジュアル化した記事である。
そのうちのメーカーで、カタクラの若手社員が、自社のパンツを穿き、自社ビル(?)で取材を受けた。
その時の写真が、「空中パンツ」だ。見よ、社員3人が、パンツ姿で若々しく伸びやかにジャンプしているではないか。確かに宙に浮いている。まさしくこれが宇宙時代を思わせる「空中パンツ」なのである。
白のブリーフは進化している
女性が着こなすおしゃれなラグジュアリーに比べ、男モノのブリーフやトランクス、あるいはビキニタイプなど、実に無益な存在だと、「人新世のパンツ論⑥―虎の尾を踏むパンツ」の中で述べた。いや、違うのだ。
肝心なのは、パンツが「包み込んでいるもの」までを含めたトータルの様相の品格であり、個人個人がその品位を保つべく努力していることが望ましいのだ。
そしてそれは、「社会の窓」として在り続けることだ。いわば、男性性のアイデンティティだ。その価値を改めて考え直した時、パンツの意義は増幅してくるのではないかと思うのである。
20世紀に世界的な下着革命が起こり、美的感覚をくすぐるようなラグジュアリー化とミニマム化が進んだ。
ポケモングッズやNintendo Switchのように、人々が欲しいアイテムを奪い合うほど下着に関心を抱いているわけではない。しかし、その下着のパンツが、決して高価ではない商品であったとしても、品質は良く保たれ、高機能であり、「プライベートゾーン」という今風のことばの社会規定に沿う形で、実用的だということが今日的なパンツの在り方なのである。社会の要請といってもいい。
中でもブリーフという形態は、機能美に優れ、「包み込んでいるもの」をより優しく保護するといった、「理にかなったアンダーウェア」として、かつての国産の製品は誇らしかった。当然今もそうあってほしい。
だからお中元は、お世話になっている上司にパンツを――といった気持ちもわからないではないが、いや、ホントはあまりわかりたくもないのだけれど、されどパンツ!!!!――といったことは肝に銘じていたほうがいい。パンツをバカにするな、ブリーフを穿いてちぢむな男たち、といいたいのである。
時代は変わった。ブリーフも進化して、格好良くなった。もう一度いいたいのである。白のブリーフが、今こそ誇らしいと――。
私は日々、そういう心持ちで、パンツと向き合っていたいのである。