過激な童貞喪失論

HOME | どこの馬の骨だ青沼ペトロ | 過激な童貞喪失論
シリーズ

どこの馬の骨だ青沼ペトロ

『平凡パンチ』に囚われた男の哀しい享楽
 

『平凡パンチ』1971年4月19日号

 

『平凡パンチ』が君臨した時代

 昭和期の男性向けのハイセンスな週刊誌『平凡パンチ』(平凡出版。現マガジンハウス)については、[Petro Notes]「〈再録〉『平凡パンチ』と早大スペイン語研究会の備忘録」で少々詳しく述べた。
 男性サラリーマンが毎号好んで読む雑誌であり、端的にいって、“男のための雑誌”だった。
 
 こうした男性向け雑誌について、客観的に述べたエッセイがある。
 岩波書店のPR誌『図書』2025年4月号、ジャーナリストの伊澤理江著「ジャーナリズムと多様性」の中から書き出してみる。
 
《週刊誌の販売部数が右肩上がりだった1960-80年代は、男性が外で働き、主に女性が家庭を守ることが当たり前とされていた時代だ。
 駅の売店ではさまざまな週刊誌が平積みにされ、発売日になると、通勤・帰宅途中の男性たちは競って最新号に手を伸ばした》
 
 当時の週刊誌は硬派なジャンルもあった。しかし男性向け雑誌は、「おしゃれ」と「家庭生活」が趣旨の女性向け雑誌と比較しても、顕著に違いがあった。
 男性向け雑誌は硬派なテーマも取り込みつつ、セクシュアルなエロティック路線の比率が異常に高かったのである。それが発行部数を伸ばした大きな要因であった。伊澤氏はこう述べる。
 
《「男性の、男性による、男性のためのコンテンツ」は量産され続けた》
 
 いわゆる「社会の窓」が、ほとんど全て男性の側の「窓」で占めていたということである。
 

特集記事「童貞からオトコへ…その知的な儀式を探求」

 

『平凡パンチ』の童貞喪失指南

 1971年4月19日号(当時80円!)には、今では考えられない型破りな記事が掲載されていた。なんと童貞(どうてい)をテーマにした特集である。
 
「童貞からオトコへ…その知的な儀式を探求」
《トライアル&エラーの精神で突撃した先輩はキミに蛮勇を説く》
 
 早い話、男になりたいなら童貞を捨てよ――という趣旨なのだ。
 
 ところで「童貞」とは何か?
 以下、「童貞」の語義について記しておくことにする。
 
《男性がまだ女性との性的経験をもっていないこと。また、その男性》

(大修館書店『明鏡国語辞典』第三版より引用)

 
 記事は、5つのパートに分かれていた。
 

  • 第一章「新しいタイプの童貞がふえている」
  • 第二章「早過ぎても性的コンプレックスに」
  • 第三章「石堂淑郎氏がすすめる“二回説”」(※正しくは石堂淑朗氏)
  • 第四章「四人のエキスパートが語る喪失劇」
  • 第五章「セックスなしに連帯は生まれない」

 

新しいタイプの童貞?

 第一章の「新しいタイプの童貞がふえている」では、21歳大学生の例が紹介されていた。
 
 彼はこう述べる。
 高校の同級生の女に頼めば、やらせてくれる女はいるけど、あとで未熟だなんて批評されたくない、恥ずかしい…。
 女を金で買うのもイヤ。1万円出すのは惜しいし、それだけ払うなら絶対いい女でなければ。いかにもカラダ売ります、といったくずれた感じの女は願い下げ。それならオナニーしているほうがマシ――。
 
 こうしたタイプの男とセックスをした経験のある20歳のOLは、こんなことを話す。
 年上の彼。彼は童貞じゃないみたいな顔して、キスもけっこう上手だったけど、ドッキングを手伝ってやったら、あっさり終わっちゃった。
 それで、終わったあとで泣きだす彼。聞けば、ほんとは童貞だったんだけど、ちゃんとできたので嬉しい、だって。処女を喪失しても、泣く女はいなくなったのに、今度は男が泣く時代になったのね…。
 

当時の童貞率

 続いて第二章では、都内の男子学生を対象にした「童貞率」の調査結果が記されていた。
 

  • 高校生(進学予定者) 95.8%
  • 高校生(就職予定者) 89.5%
  • 大学生(バイト、部活動をしている者) 75.6%
  • 大学生(バイト、部活動をしていない者) 96.0%

 
 童貞のまま大学を卒業して、そのまま、結婚生活に入る者も多い、とも記している。《こういう童貞青年が、この性解放時代に、なぜ、これほど多く現れるのか》
 
 その理由について、記事を監修する医学博士・大沼晶譽(おおぬまあきたか)氏はこう解説する。
 
 現代生活は、電車内で女性との接触があったり、マスコミによる性的刺激物が氾濫している。若者は絶えず前戯をしているような状態。したがって、性欲がなしくずしに発散されてしまっている。性器だけに欲望が集中しなくなったのだ。
 リビドーが弱まって童貞のままでもいいといった性的無気力化していく若者が増えた。
 そのいっぽうで、10代後半で童貞を捨てた者の中には、早漏、短小、包茎をバカにされ、性的コンプレックスを持ってしまったケースが意外と多い。
《童貞喪失はセックスのアイウエオの段階であって、それだけがセックスのすべてではない。童貞喪失に大きな期待をもたずに、つまらなくてもいい、捨てることに意義があるんだ》
 

石堂淑朗氏の童貞喪失記

 第三章では、脚本家・映画評論家の石堂淑朗氏の“童貞喪失記”なるものが記されていて興味深い。
 
 われわれの頃は、めったやたらに、やりたがったものだが、童貞を捨てたがらない若者の風潮に異を唱える石堂氏。
 
 石堂氏が童貞を捨てたのは、東大生だった19歳の時。3人の友人が憐れんで、新宿二丁目の赤線へ送り込んでくれた。その前にチャブ屋(外国人や船乗りのための売春宿)で酒を飲み、女郎屋へ。相手の女郎は友人3人の馴染みの女性。
 石堂氏は、その女性に自分は初めてなんだとわめいた。一番困ったのはアナが見つからないこと。上のほうにあると思っていて、女性のほうが手で下のほうに導いてくれた。
 腰を使うことも知らなかった。女性の上で、腕立て伏せをやっていた。女性は大笑いし、バカね、腰を使うのよ、と教えてくれた。女性のアソコに憧れていたので、ペニスが女性のあの中へ没しただけで感激して震えてしまった。
 
 石堂氏は結局、たて続けに「二回やった」という。これに関して、大沼氏の解説は以下の通り。
 
《童貞を破るときは一回めはほんの儀式で、少なくともつづけてもう一回やって、アナの位置、女性自身の構造などを確かめておくのがよい》
 
 第四章は著名な4人(藤本義一、加納典明、福地泡介、川上宗薫)の童貞喪失記であるが、長くなるので割愛する。
 ただし、写真家・加納氏の見解を一部だけ抜粋しておく。
 
《セックスというのは超えるべきものであって、童貞喪失というのは知的な儀式だと思う。セックスをすることによって、男ははじめて他人が自分に同化する実例を知ることになり、そこに他に対する責任が生じてくるわけだ》
 

セックスなしに連帯は生まれない

 第五章では、最後として《童貞青年に対して苦言を送ろう》と記している。
 作家・佐野美津男氏は、童貞を守る男たちに対し、厳しい批判を投げつける。
 
《要するに議会主義の思想なんだよ。議会主義というのは、なにかやってまちがえれば裁かれるんだから、なにもやらないほうが安全だということにつながる。なんにもやらないことがいいことだとなれば、トライアル・アンド・エラーの軽視ということになる。それではいつになっても童貞のままで終わってしまうだろう。ほんとうは、まちがいがなければならないという考えの上に立って、すべからく行動すべきなんだ》
 
 女性とのセックスを知らないことの損失についても述べている。
 
 要約する。
 まず何より、人間の悲しさが理解できない。それから、連帯というところの、ほんとうのところがわからない。闘っている者のあいだに、人間的なつながりが欠ける。闘争というのは本来的にスキンシップを求めるからだろうが、その期待に反し、自分の使命感だけでやるようになってしまう――。
 
 そして佐野氏の“童貞亡国論”はこうだ。
 
 女性の側は待っているのに、若い男性がセックスをしたがらなければ、その欲望の代わりは、中年男性が頑張ることになる。
 中年は社会を動かす第一線で働いているのだから、それが疲弊しては、亡国の道をたどることになる。だから、若者の怠慢は許されざるもの。
 童貞は公害なのだ。
 大きな負担を背負わされた中年男性は、保健薬に頼るから売上増加。中年が夜のガールハントに精をだす結果、酒税収入の増加。資本主義を安定させることになる。
 その代わり、女房とやらなくなって、女房は欲求不満で教育ママとなり、世の中は暗くなっていく…。
 

これらを平凡パンチ流コミュ力と受け止めよ

 こうした『平凡パンチ』の「童貞喪失論」を鵜呑みにしていては、現代の解釈と齟齬が生まれることは確実である。
 とくに最後の佐野美津男氏の“童貞亡国論”などは、佐野氏が自覚的に左翼的で、男性優位社会を維持しようという本意が透けて見えてくる論であるから、なんの根拠もないバカげた推論にすぎないのだ。
 
 しかし、全体として浮かび上がってくるのは、「男性の童貞喪失」というドラマにはロマンティシズムの革命的なものが潜んでいる――というようなニュアンスであってそれを絶賛しており、これこそまさに、旧時代を感じさせるものではないか。
 

§

 
 セックスの初心者に満たない者を、「童貞」といい、「処女」という。
 セックスあるいはその他の性的行為は、自分と相手が同意のもとで密やかに楽しむべきものであり、心と体の相互の和みを目的とするもの。またセックスは、受精、出産、育児への家族計画の親和性を高めたメカニズムでもあって、一方的な行為であってはならないし、避妊や性感染症の予防にも務めなければならない。
 
 他人が、あるいは大衆世論が、人様のセックス観に口出しするな、という性の在り方の原則論にしたがって、私は昭和期の童貞喪失論――童貞を早く捨てよ、とか、童貞は公害だ――に与しない。
 
 ともあれ、昭和期の「童貞喪失論」とは、おおむねこのようなものであった。
 では、現代ではどうか。「童貞」をどのようにとらえるべきか。
 現代の童貞論についても、しっかりと認識しておかなければならないと思うので、あらためて別稿に譲ることにする。

↓↓↓

 基礎知識編「現代の童貞」を参照のこと。

| 1 | 2 | 3 |

シリーズ

人新世のパンツ論〈花鳥風月編〉

ジェントルマンでいたいなら、パンツに学べ
シリーズ

人新世のパンツ論

ジェントルマンでいたいなら、パンツに学べ
2023年~25年1月までの文藝ブログ版はこちら

HOME | どこの馬の骨だ青沼ペトロ | 過激な童貞喪失論